「心に縛られない自由な生き方の専門家」として活動し、グッドライフプロ公式メールマガジンを運営している”いねこ”です。

自由な生き方の専門家をしています
と簡単な自己紹介をまずさせて頂きましたが
これからもっと詳しく話していきたいと思います。
『生い立ち』
『活動内容』 『過去の苦悩』 『この仕事に込めた想い』、、 |
自分の過去や夢は、これまで隠しながら生きていましたが・・
今回は、心理士いねこという人間を知ってもらうために、人生観や生い立ち、心理士という道を選んだ経緯などをすべてをさらけ出していきます!
★私がなぜ今の活動をしているのか
★私の生い立ちと人生観
★どんな想いで心理コンサルタントになったのか
★目指している未来
『心理士いねこ』がどんな人間なのかよりわかると思います。
これからお話しするのは「自分で人生を創っていく」というお話です。
人生を変えてくれた恩師からの教えで、私が最も大切にしていることです。
プロフィール~心理士いねこってどんな人?~
私は、利根川が流れる埼玉県の端っこで生まれました。
・現在は「心理コンサルタント」として、現代ストレス・病み癖・トラウマ・コンプレックスを専門として活動しております。
・年間100人以上のカウンセリング・コーチング活動を行う傍ら、読者数述べ1000人以上のグッドライフプロ公式メールマガジンの運営もしております。
活動内容について
私は、グッドライフプロ公式メールマガジンを通じて、
年間100人以上の方の「トラウマ」や「コンプレックス」と向き合ってきました。
・過去のトラウマ
・長年のコンプレックス
・仕事の悩み
・人間関係のトラブル
・恋人との関係
・将来の不安・・・
などなど、幅広く行わせていただいています。
・何かと悩みの多い10代の学生さんから、
・トラウマを抱え現代に「生きづらさ」を感じていた20代の方
・仕事と家庭のストレスを同時に抱える40代の会社員の方まで
幅広い世代の『現代ストレス』と向き合っています。
最先端の心理学をいち早く取り入れ、ひとりひとりのペースに合わせ、丁寧にコンサルティングを行い、
全てのコンサル生に「毎日が楽しくなった」と感じてもらえるような、価値あるサービスを追い求めています。
悩みが解決したその先
最先端の心理学を活用し、ストレスの根源を見つけることで、「生きづらい毎日」から解放され、ゆくゆくは「心に縛られない完全なる自由」を手に入れてもらうサービスを提供しています。
それは、心に支配されていた私が、ずっと追い求めていたサービスです。だから、たくさん投資し、たくさんの本を読み、たったひとつのプログラムを2年という年月をかけて完成させました。
~孤独に闘う幼少時代~
今でこそ自分の人生を生きていますが、
かつての私は、自分の思いを犠牲にするような生き方をしていました。
当たり前の日常が変わった6歳の冬
私は利根川が流れる埼玉県の端っこで生まれました。
父が努めていた不動産会社はバブル全盛期で景気が良く、後に独立開業。わりと裕福な家庭で育ちました。
ところが6歳の時、父が交通事故に遭い亡くなりました。
周りから「可哀想」と言われるのがすごく嫌だった私は、勉強も運動も人一倍頑張り、学級委員をやったり合唱コンクールではピアノの伴奏をしたりと、とにかく何でもトップを目指すようになりました。
それは単に一番になりたかったわけではなく、
「お父さんがいないことなんて関係なくなるくらい、何でもできるようになってやる」
という想いがあったからです。
ところが、そんなスーパー小学生時代は長く続きませんでした。
母の再婚です。
この頃から、私はどこか孤独を感じるようになりました。
今まで私に向けられていた関心が、すっかり消えてしまったように思えたからです。
小学3年生の冬には、駅に近かった築8年の家を引き払い、義父の希望で最寄り駅まで自転車で1時間かかるような田舎に新しい家を建てることになりました。
きれいな家に住めるのは嬉しかったです。
しかしその分お金に苦しくなり、私は「両親にお金の負担をかけたくない」という思いから、学校の集金や学用品は出来る限りおこづかいで買うようにしていました。
もちろん、自分で払えないこともあります。
勇気を出して集金の話を義父にすると、
「1000円稼ぐのがどれだけ大変なことか分かってない」
と叱られたのを覚えています。
当時の私は親から嫌われるのを非常に恐れていたため、「お金のかからないいい子」を演じることに必死でした。
おそらくここから、お金に執着する人生がスタートしたのだと思います。
~がむしゃらに生きた中学時代~
中学時代は、私の人生で最も辛く最も笑った3年間です。
運動神経にそこそこ自信のあった私は、「お金がかからなそう」という単純な理由で陸上部に入部しました。
正直、練習は死ぬほどきつかったです。
更には合宿等で他の部活以上にお金もかかり、体力的にも精神的にも辛い日々でした。
そしてついに・・病気を患い入院。
2ヶ月くらいでなんとか普通に歩ける状態に回復しいざ部活に復帰してみると、まともに走ることさえもできず、
『今までの努力が全部無駄になった・・』
そんな現実を突きつけられました。それでも私が部活を辞めなかった理由はただ一つ。
『転部するとまたお金がかかるから』
体力的にも精神的にも辛い部活を無理して続けることが、最も金銭面で親に迷惑をかけない方法と思ったわけです。
ところが・・そんな苦悩も虚しく中学2年の終わり頃には両親が離婚。
義父は、不便すぎる家とそのローンを残し出て行き、母は離婚を機に家に帰らない日が多くなりました。
私には1つ上の姉がいますが、当時姉は駅近の祖父母の家に住んでいたため、当時の私は半一人暮らしの孤独な受験生でした。
体操着やYシャツは毎日自分で洗い、冷凍食品を漁りながらなんとか生きている日々・・
追い打ちをかけるように、学校では男子生徒からの嫌がらせがエスカレートし、自転車をこっぱみじんにされ校庭に飾られることもありました。
(原型が無くなるくらいヒドくやられたので修理代が1万円くらいかかり、「どうして貧乏人を狙うんだろう」と当時は相当恨みました笑)
家庭環境と一部からのいじめにかなり参っていましたが、それでも学校は楽しかったです。
自分の状況を周囲に悟られないよう必要以上に明るく過ごしていたため、周りからは「悩みなさそう」とよく言われてましたが、クラスの仲間といる時は、本当に悩みのない自分になれていたのだと思います。
当時はそうやって自分の本当の姿を隠し、弱さを隠し、自分の居場所を探しながらがむしゃらに生きていました。
あの頃は、普通に家族がいる人や、普通に塾に通える人がすごく羨ましかったです。
だから私は、手の届かない『普通の幸せ』を少しでも実感してみたくて、必死になって
見せかけだけでも幸せなフリをしていました。
そんな私を救ってくれたのは当時よく読んでいた伝記でした。「人生は変えられる」「道は開ける」伝記にはそんなメッセージがたくさん書かれているため、孤独だし貧乏で辛いことばかりでも
「自分でお金を稼げたら、絶対にこんな生活は変えられる」
そう信じて、なんとか生きてきたんです。
~お金によって自由を手にした高校時代~
高校生になって一番にやりたいことは「アルバイト」でした。早くお金が稼ぎたかったからです。
酒屋でのアルバイトから始まり、スーパーのお惣菜コーナー、レジ打ち、ファストフード店、カラオケ店など・・高校生ながら、月に10万円以上稼ぐこともよくありました。
勉強よりも恋愛よりもとにかくバイト優先。
『貧乏でみじめな思いは二度としたくない』
『誰からも愛されない寂しさを何かで埋めたい』
この二つの思いが重なり、いつの間にか私は、お金が信頼できる唯一の存在になっていたのです。
バイト漬けの日々でロクに勉強をしなかった私ですが、それでも簿記だけは得意でした。無論、お金の計算が面白かったからです。
先生に恵またこともあり授業は本当に楽しくて・・もしかしたら、簿記の授業や検定前の補習授業なんかが、私にとって一番の高校生らしい青春だったかもしれません。
~社会人。それでも幸せと言えなかった理由~
お金の魅力に導かれるまま、金融機関に就職しました。
私は、会社に育てられたと言っても過言ではないくらい、そこではたくさんのことを学びましたし、貴重な仕事もたくさんできました。
安定した職に就き、プライベートも順風満帆・・・
のはずなのに、
私は、いつも、どこか虚無感や、もの足りなさを感じていました。
周りから「あなたは幸せもの」
そんな風に言われても、
「はい、私は幸せです」
とは言えなかったのです。
きっとそれは、
自分自身の生き方を肯定できていなかったからです。
たとえ今が幸せだとしても、
自分の過去は恥ずかしいし、
恵まれた環境で育った人を羨む気持ちは変わらない。
もし何かが違っていれば、もっとマシな人生だったかもしれない・・・
そんな風に自分の人生を否定していたからこそ
いくら買い物をしても満たされず・・
いくら貯金をしても安心できず・・
「私はいったい何が欲しいのだろう・・」
そんな疑問を常に抱いていたのです。
~メンターに出会い人生が変わる~
そんな時でした。私は
メンターと出会い
「自分の人生を創る」
ということを学びました。
気がつけば、私は自分の思いよりも、「どうしたらみんなが認めてくれるか」「どうしたら幸せ者として見てもらえるか」そんな基準でこれまで生きていました。
常に「他人からの評価」だったのです。
メンターとの出会いがあり、私は自分の人生を振り返り、たくさんの気づきがありました。
「恥ずかしい人生・・」
「やり直したい人生・・」
そんな風にフタをしていた過去は、考え方を変えれば、私という人間が出来上がるまでに、全て必要な経験だったと気づいたんです。
『6歳で父が死んだ。周囲からの哀れみの視線が辛かった。それでもくじけず何でも全力で頑張った』
『病気して体力が落ちて、実績も何も残せなかったけど、陸上部員として最後までやり抜いた』
『毎日孤独でお金もなくて、嫌がらせも受けて、しんどい日々だったけど、弱音を吐かずに毎日笑顔で学校へ通った』
どんな辛い状況でも、負けないで生きてきたじゃないか。
恥ずかしいと思っていた過去は、自分に勇気をくれる経験になっているじゃないか。
そんな風に過去を認めることができたことで、徐々に今の自分も肯定できるようになり、これからは人との比較や他人からの評価ではなく、
「自分の人生を全力で生きよう」
そう思うことが出来たのです。
私が必死に探していたものは、
買い物で優越感に浸ることでも
一生安心して暮らせるお金でも
他人から幸せと認められることでもなく
心に縛られない自由な生き方だったのです。
~行動心理学との出会い~
過去を乗り越え自分の人生を生きられるようになった経験を活かし、人の役に立つ情報を発信していきたいと考えた私は、知識を深めるため「新しい心理学」と称される「行動心理学」に目を向けました。
・経験した人生の波
・最先端の心理学であること
・悩みを抱える人はたくさんいる
これらの考えから
私が、私自身の経験と知識を生かし、心の自由を手に入れてる方法を伝えていこう
という結論に至りました。
その結果
仕事、家事、育児に追われながら、空いた時間は全て「幸せな生き方」を見つけるための勉強に費やし、
- 人と比べない自由な生き方
- トラウマやコンプレックスを自分の魅力に変える
- お金をかけずに楽しく生きる
- ストレスに強くなる生活習慣
- 人生を飛躍させる目標の立て方
これらの方法を確立することに成功しました。
インターネットの普及により、たくさんの情報が簡単に手に入る。それでも、悩みが消えるわけではない。だからこそ、
かつての自分と同じように、今、悩んで苦しんでいる人救いたい
その想いから、金融業11年のキャリアにピリオドを打ち、収入ゼロ、経験ゼロの状態から心理業界へ飛び込みました。
~金融の世界から心理の世界へ~
正直、不安はありました。
収入もなければ、コンサルタントとしての経験もありません。
でも、いざ1歩を踏み出してみると、収入がないことの危機感や、経験がないことの不安よりも、「この仕事ができる」という喜びの方が遥かに上回っていたのです。
私はかつて「お金のため」に仕事をしていました。
でも今は、「自分と人のため」に仕事をしています。
愛に飢え、お金に支配された過去。その経験から得た気づきと、心理の専門的知識を融合させたロジックは私自身の宝です。そのノウハウを発信することで、
「毎日が豊かになった」
と感じてもらえれば、それが私にとって最高の喜びとなっています。
そして読者数1000人のメールマガジンへ
「心に縛られない完全なる自由」
その方法を発信したことで
『自分に自信が持てるようになりました』
『後悔する癖がなくなりました』
『イライラすることが減り毎日が楽しくなりました』
などたくさんのお声を頂けるようになったんです。
読者の方からの相談やメッセージを一通一通読み、コンサル生の方とひとりひとり丁寧に向き合うことで、私自身も、日々成長することができています。
「いねこさんのおかげで人生変わりました」
読者様やコンサル生の方から言われると
「この仕事をしてよかった」と心から思うことができます。
「自分で人生を創ろう」
恩師がいつも言っていたこの言葉のおかげで
自分の求めていた「生き方」を見つけることができました。
もし、一番辛かった時の自分に会うことができたとすれば
「私は今こんなことをしている。人に与える喜びを感じながら、最高に楽しい毎日を生きているよ」
と、胸を張って言うことができます。
今後の目標
私の大事にしている言葉があります。
「人生を旅する」という言葉です。
私のメソッドには様々な事情や、悩みを抱える方が集まってます。
トラウマやコンプレックス、人間関係や自分の生き方について
やり場のない気持ちを一人で抱え込み、辛い毎日を過ごしている方が多くいます。
だからこそ、そんな人たちに向けて
「もっと自由でいい」
「もっと自分のために生きていい」
そんな思いを込めて『人生を旅する』ということを伝えています。
そしていつか、これを読んでいるあなたにも、人生を自由に生きられる日が来ると信じています。
自分を愛し自分の人生を愛し、輝く未来を想像できる感動と喜びを、どうかあなたにも^^
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!このご縁に感謝の気持ちをこめて☆
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